前回の記事で、1965年の鉄筋校舎竣工からわずか33年後の1998年になぜ移転をする必要があったのか、という疑問が浮かびました。
空地に学校を移転をするということは、新たに校舎を建てる必要があるからです。
普通、鉄筋コンクリート製の校舎というのはもっと長い期間使えます。
30年ほどで老朽化で建て替えるなんて聞いたことがありません。
つまり、校舎の老朽化が移転した理由ではないということです。
そもそも、校舎の老朽化だけなら場所を変える必要はありません。
「小牧山の麓から移動する必要があった」ということになりますが、それ以上は私には分かりませんでした。
「学校が山の麓にあったため、土地が変則的な形で学校として利用するには不便だったのでは」と推測しましたが、「そんな理由でまだ使える校舎を破棄して、新たな土地に新校舎を建てることはないだろう」と感じていました。
ある時、Twitterのフォロワーさんから「尾張徳川家が小牧山を小牧町(現在の小牧市)に寄贈する時に、その当時の状態を一切変更しないというのが条件だった」と教えていただきました。
そのことが書かれている小牧市のページ(史跡小牧山の沿革 江戸時代以降)も教えていただいたのですが、確かにそう書かれています。
「状態を一切変更しない」ということは、何かを建てたり、木を切ったりすることすら出来ないということだと私は考えますが、その後、小牧中学校が建てられているわけです。
その時点で、「状態を一切変更しない」というのは守られておらず、どうなっていたのか気になるところです。
いずれ移転するということを条件に特別に許可をもらっていたのかもしれません。
ただ、1947年に小牧中学校が小牧山の麓に作られ、1965年には鉄筋校舎になります。
そこから33年経過した1998年に突然、「当時の状態を一切変更しない」という約束事を理由に移転しますかね?笑
小牧山には、当時の小牧中学校の隣に小牧市役所もありました。
私の憶測ですが、当時の「状態を一切変更しない」というのは口約束程度で、行政の方々にも忘れられているような気がします。笑
やはり、結局「これが理由だ!」というような明確な移転理由は分かりません。
当時、小牧中学校を現在の場所に移転する際にも、移転理由の詳細な説明はなかったと聞きました。
果たして、詳細な理由を知っている方はいるのでしょうか?